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  • 2017.09.11 Monday
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「The Great Race, The Great Gatsby―
人種主義から読む『グレート・ギャツビー』」という研究発表を、
九大西新プラザで行いました。
私は福岡という街の楽しみ方が未だに分からず、
いつも何となく悔しい思いを抱いて帰途につくのだが、今回は花が良かった。
Oホテルロビーに飾られた薄紫のストックとアルストロメリアを見て思い出したのは
秩父宮妃のメモワールの一節、クイーン・マザーのお茶に招かれたとき
王室の誰かが亡くなったばかりで宮殿のそこここに飾られた紫色のストックの花が、
「いかにも宮中喪に相応しく思われた」よし。
ひと夜明けて天神大丸の正面入口にはとりどりのピンクのチューリップが花びらを
のびのびと反り返らせながら大輪の花を重ね、まさに春降り積む、という趣。
そして今紅茶を飲んでいるカフェの卓上、濃桃色のアスター菊、オレンジのガーベラ、
そして再び薄いピンクのストックが、ユーカリの葉とともに円いガラス器に入って、
これはクルクル360度僕の手のなかで回って可愛らしい。
A.クリスティの佳編「あなたのお庭をどうする気?」、
TVドラマ版では老婦人がエルキュール・ポワロにストックの花の種の袋を渡して、
身に迫っている危険を訴えていた。
彼女はストック(stock)に株券の意味があることに文字通り命をかけたのだったが、
stockにはまた人種の意味もある。
なかなか1920年代アメリカにぴったりの花とも言えようか。

はる

今朝はオムレットを焼いたし(美味也!)
会議で隣になった同僚のセーターは燃え立つようなミモザ色だった。
春はやはり黄いろのものであるか。
とはいえ裏白のよもぎの葉は摘み取って団子にしたいようだし
土筆も透けるような淡い肉色にぴんぴん立っている。
身辺諸事に慌しく髪も髭も鼻毛も伸び放題で混沌として分ちがたい。
蓬髪(華顔、きゃ☆)、今春看又過乎?

三月朔日

新MV「四月」解禁のお知らせ

新しいMV、千代田夏夫「四月」(directed by Sleepers Film)がリリースされました。

https://www.youtube.com/watch?v=C9kqNJye4Es

『文藝ミュージシャンの勃興』(2002年、ポリスター)所収の楽曲、
装いも新たに、ということで、どうぞ宜しくお願いいたします!

千代田夏夫
2015年9月18日

 

スタイリッシュ

どうでもいいことなんですが。
先日学生さんたちが或る授業の課題として、
T. カポーティのBreakfast at Tiffany'sを持って来たものですから、
今日初めて村上春樹訳『ティファニーで朝食を』を読みました。
2008年に新潮社から刊行されたものです。
読んでいると「レズの子」「レズ女」「レズ刑事」「シャム双生児」
「黒んぼ」などが続々出てきて結構ドキドキしました。
「ジャップ」「アカ」もこのリストに入れるべきかもしれないのだけれど、
そんなにひやひやしなかったな(なぜでしょう?)。
ともかくも、訳者あとがきにて「最後に翻訳についてのいくつかのお断り」
と、びくんとさせながらも、
いわゆる差別語(的なものとしておこうか、もう・・・)については、
付記、但し書きを一切付けない(付けさせない?)のはいつも通りの村上流。

そこで疑問を幾つか。
(原文のニュアンス等との照応はあえてしませんよ)
日本語の形式上の話として、
「レズ」というのは差別語なのでしょうか?
(ホモは差別語だと私は思っています。)
それから翻訳界ないし出版界の、いわゆる差別語についてのルールは、
いまどれほど機能しているのでしょうか?
あるいはそんなものがあったと思ったのは、
私の幻想だったのでしょうか?
また今日の翻訳に限って言えば、
村上春樹さんはそういうものを、もはや超越した存在になられたのでしょうか?

しかしまあ「黒んぼ」という語に制限をかけると、
アメリカ文学なんかいろいろ大変なことになるな、と思いつつ、
図書館でとりあえず最初に頭に浮かんだのが、
アリス・ウォーカーとトニ・モリスン。
前者の翻訳は見つからなかったので、モリスン『ビラヴド』の
訳者吉田廸子氏のあとがきを見てみると、

>『ビラヴド』には多くの差別語が使われている。
>人間の尊厳と平等への認識が、あらゆる言動の基礎であることが
>肝に銘じられているはずの今日の社会では、断じて許されてはならない言葉である。
>しかし、作品の舞台となっている時代と社会の現実を描くために、
>差別に対するモリスンの深い嘆きと厳しい非難を、
>作品をお読みの読者に今更指摘する愚はすまい。
>原書でも、つらい思いのなかで、
>差別用語が、その時代の表現のまま、使われている。
>訳書でも、原書にそってそのようにしたことを承知してほしい。

という一節がある。集英社刊で初版は1990年、
私が見ているのは1998年の第六刷である。

いやいや、じゃあフォークナーなんかどうするんですか!!
困ったなあ、いろいろしがらみもあるし〜(?)と思いつつ研究室に戻って、
岩波文庫『アブサロム、アブサロム!』藤平育子訳(2012年第一刷)を見てみれば、
奥付の前頁に[付記]として、

>本書の原文中には、現在の観点からは不適切あるいは好ましくない表現もあるが、
>作品の歴史的背景に鑑みて、原語の意味あいを尊重する訳語を用いた。

とある。
ではさらに遡ってネイティヴ・アメリカン(インディアン)が続出する、
フェニモア・クーパーはどうか。
岩波文庫『開拓者たち』村山淳彦訳(2002年第一刷)では解説において、

>登場人物は、個人の内面よりももっぱら社会のあり方に
>関心を寄せる作家にとっては当然なことに、
>いずれも実社会に見られるタイプとして描かれー中略ー
>それにともなって、ステレオタイプがあらわれることも避けられないし、
>世間に蔓延している差別や偏見も平気で再現されることもある。
>今日ではものを描く人間ならだれも忘れるわけにはいかない、
>社会的弱者に対する思いやりがクーパーには欠けている。
>だが、こういう無遠慮な姿勢が、
>いまでは隠蔽されて見えにくくなっている神話的ないし民俗的なものの見方を
>明らかにしてくれることもある、そう受け止めてもいいのではないか。
>そういうわけで、訳者としての私は、
>このようなクーパーの小説の欠点も長所も清濁併せ呑むような気持ちで、
>そのまま翻訳しようと心がけた。

と訳者自身が記している。

話が広がり過ぎたかもしれません。
僕が今日とりあえずひっかかったのは「レズ」と「黒んぼ」の二語でした。
となれば僕の世代であれば当然、絵本『ちびくろ・さんぼ』のことが思い浮かびます。
「1988−1989年に日本語版のすべてが突然に絶版となってしまった」(守 3)この本、
図書館でダメもとで検索をかけてヒットしたのが、
著者H. バナマン、翻訳(改作)者森まりも『チビクロさんぽ』(1997年初版、北大路書房)。
基本的にはサンボが黒い仔犬のチビクロに変わっただけで、
ストーリーは同じ、ただし、
巻末に「翻訳(改作)者」森まりも氏の、

>「サンボ」という蔑称を使わずに、主人公を犬に置き換えて、
>さらにできるだけ原作に忠実に従いながら、物語を置き換えてみました。

という言と、出版社北大路書房による、

>小社は原作『ちびくろ・さんぼ』を、
>黒人に対する差別的図書であったと判断しています。

の一文から始まる1200字弱の、
「絵本『チビクロさんぽ』の出版について」という文章があり、
さらに信州大学教育学部助教授(当時)守一雄氏による
「『ちびくろ・さんぼ』の差別性をめぐって」という論文が、
別刷として付されています。


まあ、本当にどうでもいいんですよ。
ただ。村上春樹さんの周辺にもきっと多いであろう、
(クイア)思想や実践の「最先端」をゆく超エリートたち、
下らない偏見などにとらわれないリベラル&スタイリッシュなピープル、
そういう人たちに限って、
なにか高等な理論に基づく知的遊戯の一環か単なる選民意識ゆえの傲慢さの現れか知らないが、
長い間人を傷つけそして今も傷つけつづけている言葉や概念を、
もて遊んじゃうことがあるんですね。口にもしちゃう。
口にされて放たれた瞬間、言葉は文脈を離れ、
ただ差別語の物理的な響きと「ああ何だ、使っていいんだ」という安心および
それを裏書きする(たとえば村上春樹さんの)お墨付きばかりが、
社会にひろく拡散してゆく。
こういうことを私は実体験に基づいて、危惧するのです。

まあ本当にどうでもいいんですけどね、もう。
ホモじゃなくてゲイ!嗜好でも志向でもなく「指向」!とかいちいちウザいしダサいしねw

2015年7月22日

追記 同じようなテーマでもう少しまともな文章がこちらになります・・・
http://chiyodanatsuo.jugem.jp/?eid=95

追記2 トウェイン完訳コレクション『ハックルベリ・フィンの冒険』大久保博訳
(角川書店(文庫)、1999年、2004年文庫版初版、2008年再版)では、
あとがきの「追記」として、

>この「黒ん坊」(nigger「ニガー」)という言葉は一般に今日では差別用語として
>その使用をさけ、アメリカの黒人を表わす場合にはAfrican-American
>(アフリカ系アメリカ人)という言い方をします。
>しかしハックの時代には黒人奴隷はみな「黒ん坊」と呼ばれていました。
>ですからトウェインもこの作品の中で二二二回もこの言葉を使っています。
>しかし、トウェインはハックに、ジムに向かって直接「黒ん坊」と呼ばせたことは
>一度もないのです。わたしも、こういう点を注意し、
>また時代背景なども考慮しながら、こうした差別用語やそのほかの語を
>訳出するように心掛けました。

というくだりが見られ、加えて奥付の前に、

>本作品中では差別表現として好ましくないとされている用語も使用しておりますが、
>歴史的背景を考慮の上ですのでご了承ください。
の一文が付されています。


追記3 今日手もとに『ちびくろ・さんぼ』(端雲舎、2005)が届きました。奥付に「この絵本は岩波書店から出版されたものを部分的に復刊したものです」との一行が添えられています。2015年7月27日

追記4 本日手もとにヘレン・バーナマン作フランク・ドビアス絵『ちびくろサンボ』(径書房、2008年第1刷、2014年第6刷)が届きました。帯のおもて面には

「子どもたちに伝えたいのはほんもののうつくしさ
アール・デコの流れをくむオリジナル・イラスト 日本版(岩波書店版/端雲舎版)
でカットされた5点を収録 この本は赤い表紙の「ちびくろ・さんぼの原書です」」
と印刷がなされ、裏面にはバナーマンの原書『ちびくろさんぼのおはなし』
灘本昌久『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』
径書房編集部編『『ちびくろサンボ』絶版を考える』という3冊の関連本が
紹介されています。そして見返しのカバー部分に、

>フランク・ドビアスが絵を描いた『LITTLE BLACK SAMBO』は、
1927年にアメリカで出版された。ヨーロッパで美術を学んだドビアスの絵は、
当時、ヨーロッパで流行っていた基本形態の反復など、
幾何学的要素をとりいれたアール・デコの影響を強く受けている。
このドビアスの絵を使って、日本では1953年に岩波書店から
『ちびくろ・さんぼ』が出版された。1988年までに120万部も売れたが、
岩波書店版『ちびくろ・さんぼ』はドビアスの絵を改変したものであった。
そのため、本書は、1927年にアメリカのマクミラン社より刊行された
『LITTLE BLACK SAMBO』を基に、
ドビアスの絵を、できるだけ忠実に再現した。岩波書店版では修正されているが、
原本は、赤黄青緑の版がずれている。しかし本書では、
原本がもっている独特な雰囲気を生かすため、あえて修正は行わなかった。
また、岩波書店版では、ドビアスの多くの絵が、一部カットされたり、
合成や反転などが行われたりしているが、それも原本どおりとした。
なお、岩波書店版には収録されなかった見返しを含む5点の絵は、
日本で初めての公開となる。テキスト(文)は、『LITTLE BLACK SAMBO』が、
『The Story of Little Black Sambo』を改変したものであったため、
ヘレン・バナーマンのテキストに従った。

という解説が付いています。
絵本そのものには一切の付記・解説の類はありません。2015年7月29日

3/1(日)イベント出演のお知らせ

渋谷タワレコ移転20周年おめでとうございます!
私千代田夏夫も出演させていただきます「お祝いの会」3月1日(日)19:30〜
会場はタワーレコード渋谷店B1F CUTUP STUDIOです。
豪華な共演者とともに実にひさびさのライブ・パフォーマンス、
どうぞどうぞ、宜しくお願いいたします!!!
(とりあえず私の出演だけは公開OKの了承を主催者側から得ましたので・・・)
http://towershibuya.jp/2015/03/01/34431

千代田夏夫


わたしのジャン

きのう講読の授業でカーヴァーの "Fat" を読んでいて、
最後の "...as soon as he turns off the light and gets into bed, Rudy begins"
というところで吐きそうになった。叫び出しそうになった。
僕も来年で四十である。
あと一年半あるけれど、恐らくその日を童貞のまま迎えることだろう。
「僕のヴァージンは五億よりビタ一文まかりません!」と豪語?する僕に、
いやそこはむしろこちらから幾ばくか払ってでも、という風にゆかないと、、、
とアドヴァイスしてくれた後輩もいたが、それでは「物語」がない、イヤなのだ。
「誰もがすぐに理解し感情移入できるような「物語」は作りやすく、流通しやすい」
「「世界」=「物語」を壊すような企てこそが文学と呼ばれるべきなのだ」
と友人のT氏は先般出た著書の中で言っておられるが、
それでも僕はまずその物語が欲しい。
性愛の歓びひとつしらなくて何の文学研究者か、とT氏の高尚な議論を曲げて
妙ちきりんな自己弁護までしてしまいそうになる。
クイアをそのありふれた「物語」に回収しようとしたところに僕の間違いがあったのかなあ。
クイアに対しては愛憎半ばする思いがある。
僕は、クイア・スタデイーズという学問の徒というよりむしろ、
クイア教徒となっているのかもしれないが、
しかし科学と信仰の葛藤を描いたマルタン・デュ・ガールの『ジャン・バロワ』にしたって
前者はしばしば後者と重ねられて語られる。
ちょうど一週間前、いつも勉強場所にしている喫茶店で、
取り憑かれた様に読んだ。
高校生のとき、祖母の家で古い新潮文庫を見つけて以来、二十数年ぶりの再読だった。
新しい学問と思想の徒として宗教を激しく排撃しながらも、
最後には再びカソリックに帰ったジャン。
「そしてまた、手のとどかないような目的へ彼を駆り立てていた思想にも裏切られて・・・・・・ああ、裏切り、そうだ全面的に裏切られたのだ!」(第三部「薄暮」二節、山内義雄訳)。
・・・・・・ふふふ、『ジャン・バロワ』にしてからが作家の若書きのエネルギーに溢れた、
言い換えればこちらとて青い時代に読んで、そして卒業しておくべきものかもしれない。
やたらと引き合いに出して恐縮であるが「文学と年齢の問題」と題したコラムでT氏は
「文学作品にはそれに出会うのに適した年齢というものが存在するのも
またたしかな事実」であるとして、ヘッセやジイドの「青春小説」における
作中人物の死への「強烈な「共感」」はそのまま読者自身の「小さな「死」」の体験であり、
それこそが「青春期の読書の特権」であると述べる。
フランス語で射精のことを "la petite mort"、
小さな死と表現することを知ったのも十代のころだった。
あまり好きな言葉ではないけれど、通過儀礼としての性、ということを
この頃以前にも増してよく思う。

2015年2月10日

 

かり

忙しいときにごめんね、以下ぐちだから無視っちゃってね。迷惑設定してくれてもいーし。。。。。で三年間想いを寄せ続けてこの春から移動する三つ年下の同僚なんですが。僕はもう諦めようと思ってこの半年以上、意識的に自分から結界を張って接触しないようにしてたんです。去年の秋のバースデープレゼントも上げなかったし、ちょいちょいやっていたお菓子の差し入れも止めたし、駐車場の横を通るときにはそいつの車が目に入らないように顔を背けて歩いてきたし。向こうからはもとよりメールのレスすらないし。それがこの間の日曜のセンター二日目、昼休みを終えて♪五匹の子豚が五匹の子豚が〜♪とチャールストンを歌いながら試験場に向かう僕の背中から、そいつが声かけてきて、一緒に会場に向かう羽目になったんすよ。こっちは全然気付いてないんだから、そのまま勝手に行かせときゃいーじゃん?!こいつ、俺の気持ち分かってんの?!で、告白。「僕、○先生のことが好きなんです」彼女がいるから(知ってた。彼は○○の院を出て鹿児島に来て八年、その時代からの事実婚ぽいひとが、東京からこっちに一緒に来てるの、知ってた。)、友達としては大歓迎だって。僕の気持ちには気付いてたって。は!?友達なら大歓迎って、メールのレスもない、って明らかに友達ですらねーじゃん?!俺の気持ちに気付いてんなら、でメールのレスすらしたくないなら、声なんか掛けてくんなよ?!で結局告白後三日間はまた教授会で隣の席に座ったりケーキ持ってったり飼ってる犬が病気だっていうからお見舞いの薔薇の花束もってたっり。。。で、○○くん(犬の名前)の具合はいかがですか?のメールにも返事無し。もー振り回すなよ!!てめーは鬼か悪魔か?!って感じで締め切り仕事も全く進みません。あのね、彼は僕が初めて、外見でなしに好きになった人だったんですよ。。。告白なんて13年振りでした。ひどいメールで、本当にごめんなさいm(__)m鹿児島も寒いです、おからだ御大切に。。。なつを
 

歌のわかれ

この数か月、どうしてだか中野重治の『歌のわかれ』を読みたくて、
確か洗濯物を干している部屋の本棚にあったはずだが、
と探してみても見つからない。今日本屋で買ってきた。
「鑿」「手」につづく第三部「歌のわかれ」のさなかに、
突如次の詩行が現れて息をのむ。

 わたしは何を得ることであらう
 わたしは必ず愛を得るであらう
 その白いむねをつかんで
 わたしは永い間語るであらう
 どんなに永い間寂しかつたかといふことを
 しずかに物語り感動するであらう

室生犀星の「愛あるところに」という詩の全編だが、
私がそれと分かったのは、
これは大学時代の友人Aちゃんが、
1999年の暮れ、クリスマスカードに書き抜いてくれた詩だったからである。
彼女とは学科は違ったが四年間通して、
特にフランス語関連の授業で一週間(土曜日まで!)殆どの時間を共に過ごし、
またちょくちょく一緒に映画を観に出掛ける仲だった。
六本木にあったシネ・ヴィヴァン閉館、
その最後の上映作品だった『ヘンリー・フール』を観たあとくらいに、
もらった便りだったと思う。
「わたしもなっちゃんと同じくらいセンチメンタルです」
という言葉が添えてあった。


「私はあなたとお付き合いしたい、と思います」
2007年5月、静かに、毅然と私の目を見てH氏が言われた。
前年から体調を崩し、いよいよ立ち行かなくなって、
京都の実家で静養することになった私は、
ちょうど同時期にオフィスを畳んだ前任者の、そのまた人を介した紹介で、
東京、千鳥町の大きな一軒家を利用した某研究所の小部屋で、
彼女と向かい合っていた。
来し方を一時間か二時間かかけて語り終えて、
ようやく最初の顔合わせが終わろうとしたとき、
H氏が発せられたのが上の言葉だった。
窓の外の、余り上等でもなさそうな石のあいだに雑草もちらちら見える小さな庭に、
赤紫のつつじの花が数輪、光をたたえて咲いていた。

それから今日まで、
場所も千鳥町から中目黒の彼女の個人オフィス、青葉台の自宅に移り、
私自身もまた京都の実家から東京、そして鹿児島と居を移しながら、
実に多くの言葉を交わしてきた。
彼女の前で泣いたのは一度だけだ。
2008年の3月、死んだばかりの実家の猫のことを話していたとき、
何かあの子の好きなものを食べていて内心しぶしぶ分けてやるときでも、
必ず自分が美味しそうな方を取ってしまって…と、
自分の意地の悪さ、意地汚さを泣きの涙で告白していたときに、
「(猫も)あなたはそういう人だって、分かってますよ」と返された。
2011年3月11日午後3時からのセッションでは、
大震災直後の一時間半を、ゆうらゆうら寄せる余震の中で、
共に過ごした。
沢山の恋の話もした。
否、それがほとんどを占めていた。

出会ったときには72歳だったH氏もやがて81歳、
今年中の、もうそう遠くないうちに引退する。
三部作の主人公安吉が金沢の四高時代から「心をこめてやってきた短歌」、
上京して初めて出た歌会で彼は最高点を取るが、
最終盤で描かれるそこには、
もはやかつての満足感も嬉しさもない。

 彼は袖を振るようにしてうつむいて急ぎながら、
 これで短歌ともお別れだという気がしてきてならなかった。
 短歌とのお別れということは、
 このさい彼には短歌的なものとのわかれということでもあった。
 それが何を意味するかは彼にもわからなかった。

あなた、いい加減に何でも他人(ひと)のせいにするのはお止めになったら。
という彼女に、
外的世界に問題の要因を求めるのが学問ってものでしょう、
自分で内省ばかりしていたら、そりゃ宗教になっちゃいますよ!
と歯向かったこともあった。

 彼は手で頬を撫でた。長いあいだ彼をなやましてきたニキビが
 いつのまにか消えてしまって、今ではそこが一面の孔だらけになっていた。
 いつから孔だらけになったか彼は知らなかった。
 しかし今となってはその孔だらけの顔の皮膚をさらして行くほかはなかった。
 彼は兇暴なものに立ちむかってゆきたいと思いはじめていた。


『歌のわかれ』の最後の段落を書き写し終わって今、
H氏との八年間のことを思っている。

2015年1月20日

 

これから

アルコールに各種薬剤が溶けてゆく。
the last straw that breaks the camel's back
このフレーズがH氏とのセッションで出てきたのは、
もう何年前のことか。
藁呼ばわりなんぞ失礼なと思われる向きもあろうがさにあらず、
とりわけ貴方が悪かったとか、そういうわけじゃないんですよ、という、
せめてもの'はなむけ'である。

馬だの駱駝だのに囲まれつつ思うのは、
ただ一度、だれか一人にとってで良い、
ナンバーワンでありたかったなァということである。
僕は欲情されたかった。

2015年1月19日


 

ふゆのさくら

「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」
わたくしが朝な夕なに臨む桜島に、林芙美子のこの語を刻んだ石碑もある。
今日は私の所属する学部の教員がお互いの授業を参観し合うということで、
K先生の「植物形態分類学」を受けに行った。
おはなしは葉の構造から花の構造へ、
緑の濃淡が続くスライドから一転、
「花と言われてぱっと思い浮かべられるもののひとつではないでしょうか」と、
薄桃色の一面のソメイヨシノの花々がスクリーンに映し出された。
つづいて異花被花、同花被花、、、専門用語とともに、
たんぽぽ、百合、あやめなどの花が次々に鮮やかである。
やがてその花の細部、
「雄を担う部分」たる雄蕊の説明で、
植物は大体両性が入っているのが普通で、雌雄分かれているものは少ないですね、
と何気なく呟かれた言葉に、胸を衝かれた。

わたくしが花に見立てられるときは大抵薔薇の花で、いまさら驚きもしないのだが、
たった一度だけ、桜の花に喩えられたことがある。
それも「黒い桜の花」、
舞台に立って歌う私の姿を、あるヴェテランミュージシャンの方がそう言ってくださった、
あとにも先にもそれっきりである。
花は桜木人は武士、一休禅師の言とも聞いたことがあるが、
散ってこその美しさ。
アルコール依存症の妻笑子とホモセクシュアルの夫睦月の生活を描いた
絵國香織の小説『きらきらひかる』には、「銀のライオン」のエピソードが記される。
草食で少食で早死にのその白毛のライオンたちは、

>岩の上にいて、風になびくたてがみは、
>白っていうよりまるで銀色みたいに美しいんですって…

睦月たちって銀のライオンみたいだって、ときどき思うのよ、
と続くこの箇所を初めて読んだとき、
そんな勝手に美化されて揚句に殺されても、と立腹したものだが、
現実の辛さに自らを花と慰めるのもひとつの方便かと思った今日、
初物の桜餅はとりわけ旨い。
ちなみに三百六十五日それぞれに花を割り振った誕生花の暦、
私の花はどの暦を見ても、えらく大雑把な「草の花」である。

2015年1月9日

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